2011年 09月 16日 ( 1 )
カルロス・サストレ引退・父の後継ぎの道は?
ニュースリリースによると、カルロス・サストレが引退を決意したという。


かつて彼は父についてこんなふうに語っていた:

「スポーツ人生において大きな影響力があった」と。


ビクトルは地元アビラ県のエル・バラコの自転車界にあって重要人物。

自転車学校を経営し、若手の育成に情熱を注ぎ。
かつて彼は父についてこんなふうに語っていた:

「スポーツ人生において大きな影響力があった」と。


ビクトルは地元アビラ県のエル・バラコの自転車界にあって重要人物。

自転車学校を経営し、若手の育成に情熱を注ぎ。

彼の学校は、地元のヒーロー、アンヘル・アロヨ選手(’83 ツールでフィニヨンについで総合2位になったこともある)を称えるかたちで設立されたと聞く。


私の「サストレ」の記憶は、カルロスよりこのビクトルから始まる。
スペインの雑誌で、初めて目にしたサストレが、ビクトルの方だった。
自転車界の重鎮として紹介されていた。

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その時の写真はすぐに出てこなかったけれど、上の一枚なら手元にある。


これはロード界のプリンスとしてかつてスペイン中の女性をとりこにしたホセ・マリア・ヒメネスの追悼特集記事に出てくるビクトル。(一番右・ヒメネスは左から2番目、一番左がエラス)


心の病で入院し、入院先の病院で激しい頭痛を訴えた後あっけなく逝ってしまったヒネネスは、クライマーとして、いわゆるアイドル的存在だった。

そんな彼を発掘したのがビクトル。


当時少年ヒメネスの体重は100kg。しかし彼の勧めでレースに出るようになり、味をしめた後は体重も激減。
またたく間にクライマーとしての頭角を現した。
ヒメネスにとって、ビクトルは第二の父だった。


オマケの話として、サストレの奥さんが、ヒメネスの女兄弟ピエダ。
両家の強い関係を物語る。


03年、義兄弟となったヒメネスが急逝したとき、父ビクトルは憔悴していたけれど、カルロスの衝撃もかなりのものだったと聞く。

義兄弟の死について口をとざしたままだった彼だけれど、その後、ツールで区間優勝した折りに、こう話した。


「僕は普段、感情を余り外に出すほうではない、でも信条はもっている。
僕は今日、僕のもとをさった人・でも自分いとってとても大事で、いつもそばにいてくれる人のために、天を指差してゴールした。そう、ホセマリアのためだった。
彼は常に一緒だった。レースもすべてを共にしてきた。だからこの優勝は彼のもの。きっと彼は僕と一緒にこの場にいたかったことだろう。ツールで勝ちたい、僕と同じ夢を持っていたんだ」

感情を余り外に出さないそんなカルロス。
引退後は、どこに新天地を求めるのだろう。


下の写真は生前のヒメネス@ツール。
ちょっと尊大だったけれど、軽口を叩き、ネタ集めには格好で、記者たちの人気者だった。
引退後は、父ビクトルの後を継ぐのだろうか?

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by maillotvert | 2011-09-16 23:15 | Riders