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ポッツォヴィーヴォが4年前に(内輪で)注目されたワケ
ジロ第8ステージを制したドメニコ・ポッツォヴィーヴォ(身長165cm)のコメントがいい。
「僕はでっかいことを考えるには、小さすぎて、ただただ1日1日地道に走って行くだけ」(RCSニュースレター)

さて、このポッツォヴィーヴォの話を取りあげたのは2008年10月のこと。
とはいっても、彼のことが言及されるに至ったキッカケは、まったくもって方向違いの話題だった。
その話題とは・・・『古今東西ポディウムガール比較』。

2007年、シュトゥットガルトの世界選に行って、余りにたまげたもので、書かずにはいられなかった。
ポディウムガール(表彰式セレモニーでメダル渡しなどお手伝いするギャルたち)の衣裳が、”只今就活中”っぽかったのだ。

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質実剛健なドイツのお国柄、とはいえ、これはお堅過ぎやしないだろうか、と思ったものだ。
これなら2006年、ザルツブルクの世界選のポディウムガールは地味で、さほど洗練されていなかったけれど、民族衣装で悪くなかった。

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でもやっぱり、08年ヴァレーゼ(イタリア)のポディウムガールは、きらびやかで群を抜いていたっけ。
使用した競技場は、競馬場を改造したものの、工事が間に合わず、ウォームアップする場所などはところどころ”工事を途中で打ち切りました”状態で足場が悪く、テキトー、という状況だったのに、
なぜだかポディウムガールの衣裳だけは、色とりどり、何パターンも用意して、このアンバランス感は一体???

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などという話を当時(08年)エントリーしたところ、こんなメールをもらった。

「ポディウム・ガールと聞いて、すぐに思い浮かぶのが2004年のヴェローナ(の世界選)。」

なんとなれば、ポディウムガールがちょっと残念な仮装大会だったのだ。
⇒ CNから

これは一体どうしてしまったのか、いくらコロッセウムを使ったオペラ上映で有名なヴェローナとはいえ。。。。などと盛り上がったのだった。

そしてその脈絡から話は04年世界選に及び、

フレイレさんがハット・トリックを決めた年でしたが、最も印象に残ったのが
U23でRRもTTも2位だった小デッケルの膨れっ面。
写真を探しつつ2004年のリザルトを見たならば、ジュニアのRRではクルイツィガーが優勝。
ヘーシンクやカペッキの名前も見えます。
U23では、RRがシフトソフ、TTがブライコビッチ、デッケル、ニーバリ(銅メダル姿がういういしい)。
他にもヴィスコンティやポッツォビーボも。
4年後にしっかりエリートでも頭角を現してきているのはさすがですね
(当時の頂きものメール引用)

話がまわりくどくなったけれど、04年世界選で活躍した選手、としてポッツォヴィーヴォの名前がここで参照された。
U23のRRで暴れてレースを活気づけ、最終的に4位だったものの、存在感を印象付けたのだった。


ところで、上述の通り洗練されたポディウムガール(ちょっと暴走しすぎて残念に終わった例もあれど)で絶賛したイタリアだけど、ことGT(グランツール)となると、ツールにその地位を奪われてしまっている。

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2005年だったか彼女たちに話を聞く機会があったのだが、ツールのポディウムガールの躾けはかなり厳しい。
というより、そもそも選考審査自体がかなり厳密だ(続く)
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by maillotvert | 2012-05-14 08:09 | Road Races
リッコ、社会派を装う
あの時に撮った一枚、今見返してみると、複雑な感じがする、、、そんなことがあるものだ。

ドーピング犯の告白記事を人一倍熱心に周囲に読み聞かせ、「これはひでーや」と眉をひそめて提唱するリッコ(2007年LBL前日)
その1年後にはリッコ自身、陽性反応でドーピングの悪癖が露呈している。

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リッコが読んでいる記事は、元選手ヘスス・マンサノの「血液の作り方」論。

04年、マンサノはチームぐるみ(スペインのケルメ)のドーピングを告白。
06年にはスペインスポーツ界全体で血液ドーピングが行われていたことが発覚。いわゆるオペラシオンプエルトが勃発。
そこでマンサノが再び脚光を浴び、彼が血液をいかにコントロールしたか(実際は、いかにずさんな管理をしていたか)が記事をにぎわせた。
その時の新聞記事が、上記写真でリッコが読んでいるもの。

あのとき、リッコはこの記事を人一倍熱心に読んでいた。
社会派なんだなぁという印象をもち写真に収めたけれど、今考えれば、
どういうリスクがあるかなどを綿密に分析してたのかもしれない。


5/6のエントリーの中で、こう綴った:

『昔の記事の中には、ごくたまに、読み返すと「あちゃー orz」と思うものがあるものだ』

昔と今はふつうストレートに繋がって行くと思いがちだけど、
昔感じたことが間違いであったことを後になって知った時、昔と今はひしゃげた形で結びついて行く。
それを、ふとした拍子に気づかせてくれるのが以前の文章とか写真だったりする。
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by maillotvert | 2012-05-12 09:52 | Riders
ロバート・ハンターがまだ兄貴じゃなかった頃
2002年ツール休息日。
宿泊先のすぐそばのマンモスホテルにチームカーが数々止まっていたので、見物がてら出かけてみた。

丁度マペイ御一行様がトレーニングに出掛けたところで、暫く戻らないな、と思ったのだが約2人ほど例外が。

ペドロ・オリリョとともにあっさり切り上げて戻ってきたロバート・ハンター。
汗もほとんどかいていない。
だらだらとそのままホテルの庭で油を売る姿は、練習嫌いのよう。

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当時25歳。
貫録もなければ、ふつうのヤワな若者だった、”(後の)兄貴ハンター”。

ついさっきは、ジロ・ラスト1kmで先輩ライダーに配慮もなく空気読めない横暴な若者に、さっそくネット上で吠えたりしているけれど。


片や、05年TOJで来日したマシュー・ゴス==>写真(23番)

こっちの方が、兄貴っぽい印象がある。
当時御年18歳。
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by maillotvert | 2012-05-11 01:08 | Riders
バイクシェアリング By太陽光発電
原発はすべて停止し、ますますの節電が必須となっている今日この頃。
ということで2つのブログで連動企画(?といった大袈裟なもんじゃないが)

ヴェリブなどバイクシェアリングが活発なフランスでは、こんな試みもあるという。

~ラロシェルにて~
『このYELO、私の写真では見切れてしまっていますが、電源が太陽光発電なのです。(参考

今までかなり多くのカーシェアリング導入都市を訪れ、その都度写真を撮ってきましたが、
ステーション上にソーラーパネルが付いているのは初めて見ました。
(←なのに見切れた写真ってw)
今後はこのシステムが増えるかもしれませんね~。』(去年、Kakochasoさんから)

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ヴェネツィア本土では、自動車などというものは一切ご法度。
自転車も中心地ではまったく意味をなさないけれど、
島からひとたび出て、ヴェネツィア・メストレまで行けば、
バイクシェアリングの光景が広がっている。
こんな景色ひとつが目新しいと感じる不思議の街ヴェネツィア

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by maillotvert | 2012-05-10 08:00 | Bicycle related
テイラー・フィニーのコメント
ジロ第3ステージ。
ロベルト・フェラーリ(アンドローニ・ジョカトリ)のゴールスプリント時の斜行によりなぎ倒された選手たち。
最も被害を受けて動けなかったマリアローザのフィニーのコメントが健気に映った。

「クラッシュのあとただちに路上に座り込み続けた。ちょっとショックでね。
救急車に乗り込んだら、右ひざが腫れてた。
アイシングしたらずいぶん痛みが和らいで、フィニッシュ地点に戻ったんだ。
だってピンクのジャージを着続けたかったから。
クラッシュしたのは残念だし、起こって欲しくはなかった。
でも、クラッシュも自転車競技の一部。
シリアスでないことを祈る。」(下記に原文)

一部後続選手が彼の上に乗り上げて行ったようにもみえ、ショックはさぞかしと。
元凶であるフェラーリは、一番ナーバスな集団スプリントゴールシーンで、道を横切るような進路変更。
確かに上から眺めると、ゴールシーンはケイオスそのもの。
ちょっとした突きや押しこみは多々。
でもそれでもそれなりに、秩序と不文律はあるはず。

“Immediately after the crash I stayed sat in the road because I was a bit shocked. I got in the ambulance and my right ankle was swollen. I put ice on it and so it’s a lot less painful. I then went back to the finish because I wanted to pull on the pink jersey. It’s a pity that I crashed, I wish it hadn’t happened. But crashing is part of cycling. I just hope it’s not serious.”(フィニーコメント)

そして、フェラーリ降格もあり9位になったフミ。
エースのマシュー・ゴスを優勝に導いたその存在感がじわっと嬉しい。
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by maillotvert | 2012-05-08 08:02 | Road Races
ヤエスメディアムック 山口和幸さんの「もっと知りたいツール・ド・フランス」
祝、出版!
山口和幸さんの「もっと知りたいツール・ド・フランス」

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取材歴23年! ツールをもっともよく知る記者が
世界最大の自転車レースのすべてを説き明かす
カラー写真と小河原政男のイラストを多数掲載

ヤエスメディアムック363
もっと知りたいツール・ド・フランス
山口和幸 著

 1903年に始まった世界最大の自転車レース、ツール・ド・フランスは来年(2013年)に100回大会を迎えます。世紀の記念大会に向け、ツールのすべてを解説するムックを出版します。
 著者の山口和幸は、1989年以来連続23年、ツールを取材。日本でツールを最もよく知る記者です。
 本編は東京中日スポーツ紙に週1回2年間連載した記事がベース。テーマ別の4章構成で、4つの視点からツールを解説します。
 第1章 歴史、第2章 人物、第3章 一周旅行、第4章 イベントを支える脇役たち。さらに、全体像が分かるツールの概要記事が載ります。
 読者対象は、自転車レースに興味がある人からツールをもっと深く知りたい人まで。日本人が執筆した“ツール本”ではもっとも内容が詳細で、読み応え十分です。

発売日(予定):2012年5月17日(木)
発行:八重洲出版
体裁:菊判(天地218mm×左右152mm 網代とじ 美麗カバー装
カラー写真とイラストを多数掲載。
版式/総ページ数:カラー印刷/196ページ(予定)
予価:1,785円(本体1,700円)
雑誌コード:69038-67

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by maillotvert | 2012-05-08 00:06 | Road Races
ジロ初日プロローグの覇者テイラー・フィニーの過去の記事から
アメリカ人がツールの一斉スタートコースで初めて区間優勝をあげたのは'86年のこと。
栄光に浴したのは、セブンイレブンチームのデイヴィス・フィニー。
昨日ジロ初日を飾ったテイラー・フィニーの父親だ。
現在パーキンソン病と闘っている。

デイヴィスは1988年Velonews最優秀アメリカ人選手賞を受賞。
親子2代で活躍中。

というわけで、過去のフィニー関連のアーカイブ2本。

最初のニュースは、フィニーが07年当時、いかに高く買われていたかを物語る。
コンタドールやライプハイマーより先、ランスの次に風洞実験体験者に抜擢されている。

ちなみに、2番目のニュースに出てくるランディス06年Velonews賞受賞関連ニュースの中では、その受賞理由に虚を突かれた:
「彼の活躍ぶりには、一点の曇りもないから」!??

昔の記事の中には、ごくたまに、読み返すと「あちゃー orz」と思うものがあるものだ。


=== 2008年11月のアーカイブから ===

先日来来取りざたされているランス・アームストロングの風洞実験@サンディエゴ。
風洞トンネルを使って、エアロダイナミクスの最適化を図るというもの。

ディスカバリーチャンネル時代にランスのまわりに集まったF1チームと呼ばれる流体力学のプロたちが再度結集。

同じ日、ランスのあとに実験にトライしたのは、米国トラック界の新星テイラー・フィニー。追い抜きで目下驀進中。
フィニーは来年、素質を見込まれランスのU-23チームで走る。

翌日にはライプハイマーとコンタドールも実験を行った。


=== 2007年1月のトクダネアーカイブから ===

雑誌Velonewsが読者投票で選んだ2006年北米最優秀男子選手はフロイド・ランディスだった。ツールでの疑惑は晴れていないものの、第一回大会となったツール・ド・カリフォルニアで優勝した。受賞理由は、『彼の06年の活躍ぶりには一点の曇りもないから』、なのだとか。

2006 フロイド・ランディス
2005 ランス・アームストロング
2004 クリス・ホーナー
2003 タイラー・ハミルトン
2002 ランス・アームストロング
2001 ローランド・グリーン
2000 マーティ・ノースタイン
1999 ランス・アームストロング
1998 ランス・アームストロング
1997 ボビー・ジューリック
1996 ランス・アームストロング
1995 ランス・アームストロング
1994 マーティ・ノースタイン
1993 ランス・アームストロング
1992 アンディ・ハンプステン
1991 マイク・エングルマン
1990 グレッグ・レモン
1989 グレッグ・オラベツ
1988 デイヴィス・フィニー

過去の受賞者を見ると少々意外だったり、なるほど、と思ったり --------------

● ツール7連覇を果たしたランスが近年毎年受賞したのかと思いきや、7連勝中の受賞は3回だけ。初回、02年、7勝目の年だ。

● 逆に7連覇する前に、彼は4回受賞している。93年初受賞(オスロの世界選優勝、ツール区間優勝の年)、95年クラシカ・サンセバスティアン優勝、ツール区間優勝の年、96年フレッシュ・ワロン優勝の年、そして98年ガン克服してブエルタ総合4位に入った年。

● 04年の受賞者はホーナー。長年の下積みを経てWebcorからサウニエルというトップチームにやっとカムバックできた年。

● 03年ハミルトンはやはりツール鎖骨骨折で区間優勝というのがアピールしたのだろう。

● 01年受賞者のグリーンはMTBの選手でこの年世界選を制した。

● 2000年、94年の受賞者ノースタインはケイリンで活躍した選手。

●97年はコフィディス時代のジューリック。ルート・デュ・スュッドなどで4勝を収めた。翌年彼はツールで総合3位になるが、ランスがガンから復帰した年だったので、ランスが受賞した。

●92年の受賞者は、ツールのラスプデュエズステージの覇者でありツール総合4位だったハンプステン。

● 91年の覇者は当時活躍していた選手らしい。リムザンなどで総合3位になるなど、ヨーロッパのレースにも出場。

● グレッグ・レモンは意外にも獲得は1度だけ。銃で撃たれ、重傷をおったあと(参考:KazGさんのサイト) ケガから復帰してツールでフィニヨンを辛くも破って優勝した89年ではなく、その次の90年のツール優勝時だ。

●89年の受賞者はUSチャンピオン。

● 88年の覇者フィニーはこの年クアーズクラシックで総合優勝。同大会区間22勝の記録保持者。
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by maillotvert | 2012-05-06 09:16 | Road Races
ロンドン五輪日本代表候補選手発表記者会見にて 印象的だった場面から その2
■ 日本版ハビエル・オチョア:意識不明の重体から五輪に出場し、さらなる大けがを克服した元競輪選手

ロードの五輪出場選手は、先に確定となっていた別府史之選手に続き、新城選手の出場が先の記者会見でアナウンスされたわけだけれど、その際の発表会で、パラリンピック競技大会に出場する下記4選手も発表になり、同席していた。

藤田征樹選手、大城竜之選手、石井雅史選手、伊藤保文選手(パイロットとして大城選手とペア)

藤田選手、大城選手が口をそろえて言っていた言葉が印象的だった:

「お忙しい中、障がい者スポーツの会見も一緒に開いていただき、尽力して下さった方々にお礼申し上げます」。

同時発表の経緯はわからないけれど、これが上記4人の選手たちのなお一層の励みになるかもしれず、既成概念にとらわれずにトータルな自転車競技としてあらゆる面で力の向上を目指そうという関係者の気概の表れだとしたら、それはとても好ましいことのように思えた。

そして今回驚いたことは、石井雅史選手の奇跡の回復。

以前トクダネでも取り上げたことがあるけれど、石井選手は元競輪選手。
28歳第一線で活躍中、”ロードでの練習中、対向車と正面衝突”して意識不明の重体になったそう。

そこから奇跡の復活ぶりは、ハビエル・オチョアさながらといっても過言ではない。
(オチョアのリンクはInfoseekサービス停止により、5月末で切れます。)

北京五輪では3種目で金銀銅メダルという破竹の活躍ぶりで、広くその名が知れ渡った。

ところが、更なる悲劇が彼を待ち受けていた。
09年世界選のレース中、落車で”上半身数箇所の骨折および肺損傷”(WIKI)。

恐ろしい怪我でその時はショックだったけれど、その後のリハビリ状況をフォローしてはいなかった。
それだけに、今回出場選手に選ばれたことを知り、血のにじむような努力の末の晴れの舞台であると推察した。

また、藤田選手については、08年9/7に掲載したトクダネ(当時頂いたメールから)から抜粋してみる:

「パラリンピックで日本人選手のメダル獲得第一号が、自転車競技だったようで。
藤田征樹選手のことは存じ上げなかったんですが、事故で両下腿切断されてるんですね。

もともとトライアスロンをなさっていたらしいのですが、事故後すぐに
義足を使って歩くことが出来るのなら、トライアスロンも出来るかなと」考えたのだとか。

ご本人の努力と精神力にただただ脱帽するのみですが、
義足を開発・改良する「義肢装具士」という方達の絶え間ないチャレンジもあるのですね。」


大城選手については、前回五輪でメダルまであと一歩であったことに触れ、今回メダルへの手ごたえを聞く質問があった。
高負荷トレーニングなど強化を行ったとの由。
前回メダルを逃した悔しさをばねに、メダリストである藤田・石井御両人の背中を追いつつ頑張ってくれそうだ。

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by maillotvert | 2012-05-04 09:05 | Races other than RR
パンターニジャージを特定する
先日書いたパンターニ@皇居(というか丸紅前)のジャージ。
サブスポンサーがWAGAだったので、97年のものと思いきや、WEGAはその後もついたり離れたりしたようで、01年に至っては、5月のジロ前まで数ヶ月間だけサブスポンサーだったりしたそうだ。

以下、ジャージのことにかけてはちょっとうるさいぞ、というランスマニアさんから :

========

記事のメルカトーネさんを見ると、
2000年のasicsのジャージかと思われます。
(ALBACOMとWEGA、ジャージの横は青)

1997のメルカトーネも確かにWEGAスポンサーでした。
(ツール以外は黄色、マイヨジョーヌと区別するためツールのみ青)

さて、記事のメルカトーネさん
ビブを見ると、横にWEGAの文字が・・・
2000年のビブは、横にALBACOMの文字・・・
何かオカシイ予感

そこで2001年を調べてみると、
asicsからsantiniへメーカー変更しているものの、
ビブの横にはWEGAの文字!

ということは、メルカトーネさんは、
同じ黄色の上下ではありますが、
上のジャージは、2000年asics
下のジャージは、2001年santini
ではないでしょうか???

ちなみに、2001年の5月のジロでは、WEGA→STREAM TVに変更(一番下のURL)
そういう意味では、わずか数ヶ月使用された2001年WEGAビブ(最後から2番目のURL)
(レプリカは春先に大量発売されたかもしれませんが)

1997 年ツール以外のメルカトーネジャージ
1997年ツールのメルカトーネ
2000年のメルカトーネ
2001 ジロ前のメルカトーネ WAGA
2001年ジロ以降のメルカトーネ STREAM TV

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by maillotvert | 2012-05-04 07:44 | Bicycle related
ロンドン五輪日本代表候補選手発表記者会見にて 印象的だった場面から
印象に残った言葉:被災し、悩みつつ練習をこなした新田選手が心境を吐露

本日午後、オリンピック代表発表会に赴いた。トラック競技メンバーに選ばれた競輪3選手(渡邉一成選手、新田祐大選手、中川誠一郎選手)のうち、最初の2人は福島県出身。地元の人たちに勇気を与えられたら、と2人は語った。

そんな2人に熱い視線を送る福島放送の姿も印象的だった。

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さらに--、新田選手の言葉が心に残った。
「福島で練習してきて問題がある中で、外で乗らなければならず、難しいものがあったが、(そうした困難に打ち勝ったことを)世に実証したい」と。

屋外での練習に付随して、放射能レベルとかいう(だけでなく、悲惨な道路事情も含まれるのだそう)現実と闘わなければならなかった、そのことに言及したコメントのよう。

新田選手の去年のブログからも、そんな苦悩がうかがわれる:

「原発の警戒レベルが7になってしまい、福島での練習は致命的。
チェルノブイリの時と一緒のレベルってだけで、過剰に反応してしまいます。
このような危険な状態は、現実的に考えると色々と難しい事が沢山出てきています。」

2人が頑張る姿に、多くの人々が勇気づけられることを思うと、応援せずにはいられない。


下の写真は、競輪3人衆。左から新田祐大選手、競輪界の松本幸四郎(*)こと渡邉一成選手(*と私が勝手に呼んでいる。但し、角度限定)、競輪界の鈴木真理(*)こと中川誠一郎選手(*と私が勝手に呼んでいる)。

(*)そっくりさん大会においては、KEIRIN-ブログマガジン編集部のN村さんが主張する林雄一選手のキャメロン・マイヤー説よりはいい線いっていると自負している。

(参考:Honk de Bonk

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手術で長いプレートを腕にはめ込んだ新城幸也選手のいい表情

先に五輪出場を決めていた別府史之選手に続き、ポイント2位で、五輪の座を射止めた新城選手。

4月上旬にフレッシュ・エメロードで手首を骨折。手術で長いプレートを腕に差し込んで、実際は全治6週間だったそうなのだが、わずか4週間で大舞台・全日本を見事完走・9位。
その根性は見上げたもの。
会場では、どこか吹っ切れた表情で、頼もしく見えた。

世界選よりも1か国の出場Max人数が3人ほど少ない五輪では、チーム戦を崩すチャンス。
「数が少なくてもチャンスがふえるので、かなりの確率でメダルを狙っていく」と、なんとも力強いコメントが印象的。
厳しい体験で、精神的なタフさを増したよう。

特に全日本の250kmという長丁場をこなしたことは、自身につながったようだった。
これからツールの前哨戦でレースが立て込むようだが、コースが自分に向いていて、好きなコースと語っていただけに、期待が膨らむ。

夏季・冬季合わせて、石垣島から五輪出場選手を輩出するのは初めてとなるそうで、島をあげての応援合戦となる予感。

それから、トラック女子の鹿屋体育大学・前田佳代乃選手は、ど根性オーラを滲ませていた。
これから鹿児島には帰らずに五輪を目指すのだそうだ。こちらも頼もしい。

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西谷泰治選手のすごさ

そして今回、ポイントで3番目となり惜しくも五輪出場を逃した西谷選手の頑張りも光った。

というのも、上位5人(別府、新城、西谷、宮澤、土井選手)の五輪選考基準となるポイントを見たところ、圧倒的にUCIワールドツアー(UWT)に出場している方が有利な得点分配なのだ。

ワールドツアーチームでも、プロコンでもなくUWTレースとは縁がない西谷選手は圧倒的に不利ながら、地道にHCカテゴリーなどのレースでポイントを積み重ね、上位に食い込んだ。特にジャパンカップとアジア選手権での成績が効いた。

そのポイント配分、そんな状況かというと --
例えばUWTのフランドル一周ならば、完走すれば、たとえ成績が100位台でも50ポイントがつく。一方、西谷選手の場合、ツアー・オブ・チャイナのステージ2位をとっただけでは11ポイントしかもらえなかった。(詳細はまた後日)。

ただ、このポイントシステムも、監督の話を聞くにつけ、ある意味においては妥当な配分なのかもしれない。
つまり、「海外で常にキツイメンバーで走り完走する人が五輪に行けるシステムである」と。


また今回は、パラリンピックの選手たちの発表もあり、大ケガから復帰した石井雅史選手などの姿があった。長くなったので、とりあえず今日はここまで。
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by maillotvert | 2012-05-01 19:45 | Races other than RR